シリコンバレーのマネージャーの常識

今回は、シリコンバレーでマネージャーをするに当たって大切なことを、いくつか列挙してみる。

 

  • マネージャーは職種でしかなく、偉いわけじゃない
    ピンですごい人は、マネージャーなんかしなくてもいいし、マネージャーよりも上のグレードで、且つ給料もマネージャーより多くもらっても当然良い。
    シリコンバレーでは、ピンでも実力があれば偉くなっていける。そうすることで、チームをまとめたりするのが苦手な人でも、その人のキャリアや道を極められる。(特にエンジニアリングにその傾向が強い。)
    もちろん、ある一定のところから上は違うけど、まあ少なくともVPぐらいまではこれが当てはまる。

  • 期待値の明確化(数値化)
    年度初めに1年間のゴールをグループレベル、個人レベルで設定するが、かなりの項目で数値化できるようにゴール設定する。営業系だったら、数値化は比較的やりやすいとおもうけど、開発系でも数値化させることで、より客観的な期待値の設定、またぶれない評価が可能になる。
    異なる人種・文化・言語が混在している会社でマネージメントするには、これはかなり必須。抽象的な話しかしないマネージャーだったら必要ない。

  • 説明責任
    その人の給料がなんでその金額で、どう算出したのか、またそのグレードのなかで、どのぐらいのところにいるのか、部下はその質問をすることが当たり前のように可能。可能というか、それは権利。そしてすべてのマネージャーにはその説明責任がある。

  • Think positive
    否定的な発言はしない。むしろ、良くするにはどうしたら良いかを話し合う。例えばパフォーマンスが悪いことを咎めるのではなく、期待値を明確にした上で、どうやったらその期待値を超えられるか、そのために何か手伝えることは無いかをDiscussionしていく。減点評価なんて、以ての外。

  • 数字に対するセンスと嗅覚
    よく突発的に、売上、マージン、プロジェクトコスト、成長率、マーケットシェア、向こう数QuarterのForecast、予算、競合製品の価格帯、などなどについて、細かく質問される。これらについて、ぱっと答えられないようでは駄目だし、仮にそれらすべての数字を持っていなくても、今分かっている数字から、必要な数字をある程度感覚的に導き出せることが肝要。あとはそれら数字を眺めて、おかしなところを嗅ぎ分けられること。これが出来ると、交渉のテーブルや、会議などでの即断即決のスピードと精度が上がる。

  • 上に行けば行くほど忙しくなる
    アメリカの場合、上に行けば行くほど超がつくほど多忙になり、より多くの時間と情熱を仕事に費やすことになる。逆にそれが出来ないと、そのポジションへは行けないし、使えないと判断されると、入れ替えが行われる。より一層厳しく成果を求められる。
    だからアメリカに来て8年間、イケてないExecutive(一般的にはDirector以上)に出会ったことがない。すべてのExecutiveはすべからくして、そのポジションにいると思う。

  • 余談:エレベーターピッチのプロになる
    マネージャーとして対外・対内交渉をする際は、相手もそれなりのポジションの人間が多く、お互い時間が限られているので、必然的に、エレベーターピッチが出来ないと仕事にならないし、回らない。
    なので、結果的にエレベーターピッチのプロになる。

 

などなど。

半分以上は自分に対する戒め的備忘録でしたw

Product Managerのとある1日

過去数回、シリコンバレーの企業一般に関する内容が多かったので、今回はProduct Manager についてもう少し。

 

第2回目の“Product Managerって?”では、そもそもProduct Managerって何してるの?ということについて触れてみたけど、今回はよくある質問の1つで、“Product Managerの毎日のスケジュール感ってどんな感じ?” という点について少し書いてみようかな、と。
(偶然にもLinkedInに同じような質問のスレがあった。)
Product Managers, How many hours do you work? Started by Luke Johnston 

 

 

いつものことながら、これは企業によっても違うし、また同じ企業でも扱う製品によって、Product Manager の日々のスケジュール感は異なると思うけど、ここ5年~7年のEngineeringをインドや中国にオフショアする動きが加速している中で、みんな実は結構似たり寄ったりなスケジュール感になってきているのでは?と感じている。

 

前置きはその辺にして、 簡単に自分のとある1日の例をまとめてみる。

 

 

朝 : (7:30am ~ 12:30pm) 
主な相手先 : インド、中東、ヨーロッパ諸国、アメリカ東海岸

  • シリコンバレーインドは時差が12時間30分のため、こちらの8amは向こうの8:30pm。その時間帯、中東は7pmヨーロッパは3pm~4pm東海岸は11amと、まあ、一応どこの国にも無理の無いMeetingが組める。
  • なので早朝(大体朝7時30分ごろ)からお昼すぎまで、ほぼ隙間なくMeetingが詰まっている。(大体30分から1時間規模のMeetingが5~6本(社内外問わず)、お昼過ぎまでみっちり。。。)
  • よくMeetingがダブルブックされるけど、 その場合は最初の30分はこっち、残り30分はもう1つの方のMeetingに出て、自分が決断をしなくてはならないところだけに集中して、決断をしてProjectを前に進めていく。
  • 朝の最初の数本のMeetingは、家から社内のビデオ会議システム(WebEX)を使って入るが、いくつかのMeetingは実際に会社に行かなくてはならないため、電話会議をしながら身支度をし、車を運転しながらまた別の電話会議に入り、会社へと向かう。車の移動時間は貴重なMeeting時間
  • ただただ聴いているだけの会議だったらラクなのだけど、チームでDiscussionをしながら自分が決断をしないと前に進まない案件が多いので、朝一から脳みそはフル回転
  • というわけで、お昼ごろにはすでにぐったりと体は疲れているw

 

昼~夕方 : (12:30pm ~ 4pm)
主な相手先 : アメリカs (北アメリカ、南アメリカ)

  • この時間帯は、USの仕事が中心となり、実際の製品の仕様作りやそれに準ずる会議、またアメリカのお客さんやLATAM(南アメリカ)のお客さんへのプレゼン等がメインになる。
  • メールをチェックする機会がやっと少し持てる。

 

夕方から深夜 : (4pm ~ 翌2am)
主な相手先 : APAC、インド、ヨーロッパ

  • 大体4pmごろにはオフィスを出るようにして、渋滞を回避。(通勤渋滞にはまるほど人生で無駄な時間はないと思う)
  • 5pm ~ 7pmぐらいまでは、近場のスタバかPeet's で仕事
  • 7pm ~ 9pmは家族の時間
  • 9pm 以降はその日に溜まった他の作業をこなしながら、チャットベースでAPACとやりとりする
  • そして深夜を過ぎた辺りから、ヨーロッパが活発になってきて、ヨーロッパと寝る前にやり取りをして、数時間後起きた時にはある程度のOutputが出ているように仕込む
  • こうしてまた世界のどこかで、一日が始まっているのを実感しながら寝るw

 

という感じなので、太陽の昇っている場所がある限り、仕事はエンドレスに続く・・・。

 

なので、何時間働くのか? 
というLinkedInにあったスレは、そもそもお門違いの質問だと思うw

これは時間の問題ではなく、以前も話したように、Priorityをつけてどこまでやるかを決めて、時間を調整するのが大切で、ただただ長く働けばいいという問題でもない。(自分も上記以外のスケジュール感で仕事する日ももちろんある。)

 

時間の奴隷にならず、自分で時間をある程度自由にコントロールできるようにならないと、Product Manager は勤まらないと思う。そして肝要なことは、それを理解してサポートしてくれる環境があること。これがないと、正直かなりしんどい。。。

 

幸い、私のボスのVP/GMや、周りのチームはそれを全面的にサポートしてくれるので、本当に心から感謝している。

 

チームあってのProduct Manager だと常々心から思う。

レイオフについて考える

およそ1週間ほど前に、会社でレイオフがあった。今回は500人規模で、全体から見たら1%未満ぐらい。リーマン・ショックのときはもう少し大きくて、確か3000人規模、すなわち約5%ぐらい。それ以外にも定期的にレイオフはある。

 

少し余談になるが、アメリカに来ておよそ8年、大きなレイオフの波は幾度か経験してきたけど、毎回感心するのは、あまり情報が漏れないということ。なので、結構会社に行った当日に、実は今日レイオフがあったらしい、という話を聞くことになる。

  

 

日本の報道を見てると、レイオフが否定的に捉えられ過ぎているきらいがある。確かに日本の雇用保護の守りの堅さは尋常ではないから、そもそもレイオフなんて考えられない、という感覚なのだろうと推察する。

もちろん、レイオフなんてないに越したことはないのだけど、全くしてはダメ、というのもどうかと思う。

確かに高度成長期の右肩上がりだったらまあ支障はないだろうけど、世界を舞台にした弱肉強食の自由競争市場で、且つ内需だけでは立ち行かなくなっていく現実では、その甘さは営利団体を運営しているのであれば少々疑問に思うところである。

シリコンバレーの会社の強みはscrap & buildを恐れずにどんどんやっていける体質にある。逆にこれが出来ないシリコンバレーの会社はどんどん淘汰されている。

 

レイオフに関してよく勘違いされているけど、個人のパフォーマンスベースで個人をピンポイントに切るのは、非常にコストがかかるので、個人に対するレイオフは極力行われない。なので、レイオフされた = 使えない人材、とは必ずしも言えない。

 

大半のケースでは不採算事業部などの縮小及び解散、という形で部署ごと大幅に削減、もしくは無くしてしまう手法を取る。こうすることで、一人当たりのレイオフコストはぐっと下がる。ということは、優秀な人でも、レイオフされる可能性は十分ある。(縮小の場合はその部署の下位数十%が対象となったりするが、あくまでもその部署内での相対評価の下位数十%なので、優秀な人材の集まりだと、実は会社レベルでみると優秀なリソースも切られてしまう時がある。)

ということは、扱うプロダクトによって状況が変わってくるため、先程述べたように、レイオフされた = 使えない人材、とはいきなりはならないのである。

なので他の企業(特に競合)は、そういった人材が流出した時にその人材を雇用しようと動くので、結果的に社会として大きなダメージにはならず、インパクトは吸収されていく。

 

ただし、リーマンショックのときは悲惨だった・・・。

 

あの時は、もうマーケットとして全体が軒並みダメだったので、どこの企業もHiringしていなかった。ということは、失業すると、次の受け皿がないため、路頭にまようことになり、アメリカのような住宅市場に依存するようなマーケットが多数存在する場合(i.e. Home Equity Loanなどのように、住宅を資産としてレバレッジをかけてさらなるローン、または投資をすること)、失業者が溢れ職が見つからずローンが払えない状態になると、すぐに住宅は差し押さえられ、またそれが多発すると市場での住宅価格が下がり、住宅価格が下がるということは、資産価値が目減りするため、レバレッジをかけている元本部分の保証ができなくなり破綻、それら他のマーケットにも多大なる影響をおよぼす、という負の連鎖が起きた。

 

そして、あの時はサブプライムローンの影響が甚大だったため、いわゆる今まで住宅価格を保っていた中・低所得者層の破綻が加速し、住宅価格の下落がきつく、また新規にジャンボローンが組めなくなったため、住宅を新規に購入できる層がかなり限られ、結果需給のバランスが崩れ、マーケットが長期に渡って崩壊したのである。

 

最近ようやくFRBのじゃぶじゃぶの金融政策によって、なんとか一命は取り留めた感はあるけど、これで本当に元に戻ったのか?という点に関しては疑問が残る。個人的には昨年末のQE3でなんとか景気を保てている感が満載な気がする・・・。考え過ぎかな。。。

 

そもそもアメリカでは、住宅価格は長期的に見たらかならず右肩上がりになる、という神話を信じている人が大半なので、上記のようなリスクだらけのローン構造がいとも簡単に成立してしまうのである。(日本人はバブル崩壊からの失われた20年で、その神話は絶対ではない、ということを身をもってわかっているので、この部分に関しては、おかしなことにはならないと思うけど。)

 

話が大きく逸れてしまった・・・w

 

 

何が言いたかったかというと、雇用を守ることは企業として絶対必要なのだけど、利益をあげられないリソースを無理においておく必要もないわけで、結局資本主義の根本に立ち返るような社会では、この新陳代謝は残念ながら自然な姿なのだと思う。

 

なので、今回のレイオフに関しても、メディアは否定的な表現をしたがるけど、まあそういう側面だけではなくて、もっと大きな視点で且つ多面的に解釈をしないとだめだよね、っていうことが言いたかった。

 

あとは、会社に依存しすぎて、その会社でしか通用しないスキルを磨いて、気がついたら実は自分の市場価値がなく、もう貰い手がない、というような仕事の仕方はしないほうがいい。

常に自分の市場価値とマーケットを把握した上で、自分の設定したゴールに向かって市場価値を最大限伸ばしていける手段を選べばいい。そうしておけば、どんな状況になっても、そこそこ食っていけると思う。

 

だから大きな企業で働くのも、スタートアップで働くのも、どの国で働くのも、結局は手段の違いでしかなくて、最終的に自分が実現したいことが実現出来る手段を選ぶことが重要で、手段が目的に取って代わるとおかしなことになる。

アメリカ企業のReqの種類

以前”キッカケ”というタイトルの記事で少し触れたアメリカ企業のReq(Requisition)について、もう少し詳しく書いてみる。

 

Reqというのはいわゆる空きヘッドカウントのことを指す。すなわち、「1つReqを持っている」というのは、今うちのチームに1つ採用枠があって人を募集している、と解釈される。

 

少しわかりやすくするため、以下にReqの種類についてざっくりまとめてみた。(会社によって差異はあるけど、大枠同じだと思う。)

 

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恐らくこれをみてもらえたら、もう説明する必要はないと思うけど・・・。一応少し補足と、重要なポイントを1点ほど。

 

まずは日本や他の国と全く同様に、Reqには大きく3つある。1つは正社員、もう1つは派遣、そして最後はインターンとなる。

 

そして正社員のReqは大きく2つにカテゴリーに分類される。それは、InternalかExternalか、という点である。これは、そのままの解釈通り、社内の人材からのみ採用可能なReqか、もしくは社外の人材も対象になるReqなのか、ということである。

 

そしてもう1つ忘れてはならないのが、そのReqがInternational ReqかLocal Reqか、という点である。

 

自分がアメリカで採用された時には、マネージャーはLocal Reqしかもっておらず、それを無理やりInternational Reqへと変換して進めてくれたので、色々と予算の面でのちにやりくりをしなくてはならないことがあった。

 

ではそもそもLocal ReqやInternational Reqとは何か?なぜ、自分のマネージャーはそのような手段をとったのか?Reqの違いや特徴について少しまとめる。

 

  • International Req (アメリカへの移住有りの場合)
    先ほど描いたマインドマップを見てもらえると容易に推察できると思うけど、このReqがOpenになるということは、そうそう無い。というのは、このポジンションをOpenにするにあたって、Hiring Manager(すなわち雇用する側のマネージャー)は、かなり厳格且つ徹底的に、国外から人材を採用しなくてはならない理由を明確化してビジネスケースを作り、HRやボスたちを納得させなくてはならないため、ハードルが非常に高い。
    それもこれもこのReq、予算が通常のものとは桁違いなので、採用計画がより一層厳格になる。(またビザを申請する際、同じような事をアメリカ政府からも質問される。というのは、同じ仕事を出来る人間が国内にいるのであれば、国内雇用保護の観点から国内の人材を採用すればいいとして、ビザを発給しないため。)

    ということは、このReqをOpenするには、Hiring Managerが真剣に、
    「彼 / 彼女を雇いたい!」
    「彼 / 彼女のXな経験・能力が、うちのチームに必要不可欠で、彼らを雇うことは結果部署全体にもPositiveに働く」
    などなどを心から思え、且つ完全に明確化出来ることが大前提となるため、場合によっては双方の合意がとれてから、ReqをOpenすることも稀ではない。
    もしくは自分のケースのように、最初Local ReqとしてポジションをOpenしていたけど、なかなか決まらず、国外にそのポジションに合う人材がいた場合に、Local ReqをInternational Reqへと切り替えて、その人材を採用するパターンのどちらかである。(この場合はビジネスケースの証明が楽になる。)

    なので、前回の”アメリカで働く為のパス” という記事で述べた、
    「もし転籍を狙うんだったら、自分が世界で戦える武器、もしくはHiring Managerから、「君が必要だ」と指名買いをしてもらえるようにならなくてはならない。」
    というのは、そういったロジックから来ている。

    ただし、冒頭に”(アメリカへの移住有りの場合)”と書いた通り、もし、BUが国外の人間を雇用するが、その人間は現地に留まる、という採用方式を選択した場合は、予算の厳しさという面では、移住有りと比べてかなり緩和されるため、採用へのハードルが少し低くなる。

  • Local Req
    基本的に国内現地採用の雇用枠なので、もし採用したい人材が他の州に住んでいる場合、自分の場所に呼び寄せるか、リモートから働いてもらうか?などのポリシー決めはHiring Managerと相手次第でほぼほぼ決められる。そしてその内容に応じて予算が多少変動する。
    このReqで重要なことは、いかに素早くそのポジションを埋めるか、ということである。というのは、やはりシリコンバレーでは人材の流動性が非常に高く、いい人材はすぐに移っていくので、早め早めにいい人材を確保をしないと、中期的に見て競争力を失っていってしまうため。

以上がざっくりとした補足と重要なポイント。

 

なので、移住も含めた転籍を狙うのであれば、自分の技術やスキルを国内外へ発信して、まずは認めてもらい、名前をBy Nameで認知されること。そしてそれから興味ある先のグループの採用状況を掴んでおいて、もし次回ポジションが空くようなら、自分も候補に入れてほしい旨周知させておくことなどが、常日頃出来る準備の1つだと思う。

アメリカで働く為のパス

以前の投稿で少し触れたように、自分の場合は外資の日本オフィスに入り、そこからUSの本社へ転籍したケースだけど、そもそもアメリカに来て働くにはどんなパスがあるのか、ちょっと整理してみる。

*これはあくまでも自分が知っている範囲、且つ私見も入っているので、もし他のパスや見解が異なっているところ等あれば、ぜひ教えてください。

 

多分文章で書くよりも、Mind Map的な感じでまとめたほうがしっくり来るとおもうので、まとめてみた。これを見ていただくと割と一目瞭然な気がする。

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  1. 日本の会社から駐在でアメリカに来る場合
    特徴としては、補助が沢山出る、且つ周りにいろいろとサポートしてくれる日本人がいるので、いずれ日本に帰りたいけど、海外でちょっといろいろと経験もしてみたい人には最適なオプションだと思う。
    ただ大体2~5年で帰国するので、アメリカの中にとけ込んで、いろいろな国出身のやつらと人レベルの交流を深めたり、個人レベルで同じ土俵で真剣勝負したい、というのには若干不向き。やはり印象として、人というよりも会社対会社の関わりのほうが主体になってくる。
    あとはアメリカのオフィスとはいえ、日本のカルチャーをそのまま持ち込んでしまうケースが散見され、結局シリコンバレーにいてもその本質の部分が体験できず帰国してしまうという話を、よく駐在している友だちからも聞く。(いずれ日本へ戻ることが前提なので、日本へ戻ったあとのことを日々気にしなくてはならなかったり、仕事も日本とのやり取りがかなり多いため、どうしても意識は常に日本へ向いてしまっているらしい)
    もちろん、すべては個人に帰結するモチベーションの問題なので、一概に上記のようにくくるのはどうかと思う。現に私の駐在の友人でも、現地にとけ込んでいろいろと交流を持ったり、頑張っている人たちもいる。けど、残念ながらそういう人たちは全体からやはり見たらマイノリティーな気がする。

    あとは、駐在で来たけれども、こちらの生活が好きすぎて、こちらの支社へと転籍してしまうケースを稀に聞く。しかしその場合は、すべての福利厚生を失うため、全体から見たら、マイノリティーなケースだと思う。

  2. 外資系の会社に入り、アメリカ本社へ転籍する場合
    詳細はこの1つ前の投稿を見ていただくとして、やはり営業のポジションでは移籍はほぼ無い。
    なので、必然的に、開発に携わるポジションでの可能性になるが、シリコンバレーには世界中から優秀なエンジニアやマーケティングなどが集まってきているので、その中でも自分が戦える、もしくは向こうから「君が必要だ」と指名買いをしてもらえる場合以外は、正直なかなか難しい。ただ、そんな中でも行ける人はいるわけで、ではどうしているかというと、これはあくまでも1つの例でしかないけど、例えば開発やSolution系エンジニアであれば、アメリカ本社と技術的な交流を個人レベルで深めていったり、情報をどんどん発信して、名前を知ってもらい、ある程度実力が認められるようになってきたら、転籍の機会を伺う、というやりかたをしていけば、可能性は十分あると思う。

    あと、転籍全般にいえるけど、雇用体系は現地採用と全く同じ扱いになるので、レイオフがあるときは、もちろん自分も切られる可能性があるし、切られた場合は、2ヶ月以内に国外退去をしなくてはならない(Lビザの場合)ので、なかなかスリリングだが、その分がっつりと腰を据えて自分を試せると思う。

    外資でこちらにくるメリットとしては、一度来れたら、グリーンカードをサポートしてくれる会社が多いので、もし長期間こちらで仕事をしたり、将来アメリカで転職したり、起業を考えている場合には、良いオプションだと思う。

    こっちにいて結構思うのは、ビザのことをあまり深く考えずチャレンジしにくる人が多いけど、ビザのことは真剣に考えていろいろな策を講じておくことに損はない。アメリカは移民に寛容な国だけど、それでもビザの発給に関してはシビアだし、ビザは時にその人の人生を左右することがままあるので、きちんとした理解とプランを作っておくべき。(ビザが理由でやりたいこと、行動に制限がかかることほどもったいないことはない。)

  3. 起業をしてこちらに来る場合
    まだ自分はこちらで起業したことが無いので、この部分に関しては今まで色々な人から聞いたことをまとめてみる。
    このケースはかなりレアだと思うが、方法としてはアメリカで出資を受けて、こちらで起業をするパターンと、もう1つは日本で出資を受けて、アメリカで法人を作り起業をするパターンがあると思う。

    まずはそもそもどうやってアメリカで出資を受けるか?という話しがある。出資を受けるには、大概何らかの方法ですでにアメリカに入っている必要性がある。やはり、ある程度現地に腰を据えなければ、投資は受けられない。なので、日本から渡米する方法としては、不向きなオプション。

    あと、日本で出資を受けて、こちらで法人を作る場合、そこそこの資金しかなかったら投資家ビザ(Eビザ)がもらえなかった、という話を最近聞く。またもし仮ににビザが取れても、日本側で最初に出資を受けていると、シリコンバレーの投資家たちは出資することに難色を示すケースが多い。知り合いのVCたちも同じことを異口同音で言っている。なので、もしこちらで出資を受けて起業したい、という場合は、日本で投資を受けずに、少し遠回りなようだけど、こちらに他の方法で入ってからしかるべきビザ、もしくは永住権を取得して起業する方法が最適な気がする。

    ただこの3.に関しては本当にケースバイケースだから、ぜひトライしてみるのがいいと思う。

  4. 留学して、こちらに居残る場合
    シリコンバレーでは、学部卒で就職するのはかなり難しい。M.S.で且つCE(Computer Science)もしくはEE(Electrical Engineering)だったら、可能性はもちろん十分ある。あとはMBAを卒業してから、こちらで就職先を探すケース。このケースも可能性はあるけど、MBA卒を募集するポジションや職種を考えると、ある程度の実務経験+英語は必須。実務経験のないMBAを採用する場合もあるけど、ポジションはかなり限られる気がする。(自分も部下を採用するときは、結構な数のレジュメに目を通すし、インタビューもするけど、ポジションの性質上、実務経験のないMBA卒はほぼ取れない。)

    レジュメでめちゃくちゃ多いパターンは、CEもしくはEEのM.S.を卒業して、エンジニアとして会社に入り、数年間会社でエンジニアをした後、パートタイムMBAを卒業して、マーケティングやBusiness Developmentのポジションへと移っていくというパターンである。

    そんな状況が多いので、シリコンバレーの一般的な人の学歴は、めちゃくちゃ高学歴になる。とくに上記のケースはインド人に多く見られる。インド人はかなり教育熱心。

  5.  (番外編)観光ビザで潜り込んで居座るケース
    絶対やめましょうw

 

というのが、大きなパスだと思う。

 

ちなみに余談になるが、インド人やヨーロッパ系の人で一番多いのは、大学・大学院へ留学してそこからの現地就職パターン。(統計がないのでなんともいえないけど、感覚的にあっていると思う。) 中国人やベトナム人の場合は、そもそも家族で移住してきてこっちで高校・大学・大学院を卒業して就職するパターン。 そして他のアジア系の留学生は、卒業したら帰国するケースが多いと思う。

 

 

冒頭にも言ったように、これはあくまで自分の知っている範囲、また私見も入っているので、参考程度に留めておいてください。

文系でシリコンバレーのアメリカの企業で働くということ

シリコンバレーにはそこそこ日本人はいるけど、かなりの割合が駐在の人。だから3-5年で日本に帰国することが決まってる。なのでアメリカの会社で欧米人や、インド人、中国人とかと同じ雇用形態で働いている日本人って、実はかなり少ない。
(外務省のデータ(海外在留邦人数調査統計)を見てみると、かなり詳細まで載っているので、非常に面白い。一度は隅々まで見てみることをお勧め。このほかにも実は日本の政府はかなりの情報をWebに公開しているので、色々なリンクに飛んでみるといい勉強にもなるし、ヒントにもなる。)

 

それでもまあ、Engineerの人だったらなんとかいる。でもこれがEngineerではない、Business Decisionをするようなポジション(Senior Management, Product Management, Business Development Manager,  etc…)となると、一気に少なくなる。

 

これは1つに言語の問題が大きく絡んでくる。端的にいってしまうと、とんがった専門性がなく英語が苦手な上に開発もできない人を、わざわざシリコンバレーで雇う理由がないため。(開発のEngineerだったら、そこそこの英語でもまあなんとかやっていけるかもしれない。もちろん、そこから上にいこうと考えたら、いつまでもそれではダメだけど、少なくとも最初の3年分ぐらいは時間が稼げる。)

 

一昔前だったら、日本のマーケットに特化して、日本の特殊な文化や風習、また日本語をBridgeする役目としてアメリカ本社側でも日本人が雇われるケースはあったけど、昨今のマーケットの状況では、なかなかそれは難しい。

よくあるパターンは日本での現地採用で、日本のマーケットを開拓して行くケース。もしくは大企業だったら、まれにこのようなポジションを日本側だけではなくアメリカ側でも求められることがあるけど、それでも日本だけにFocusするようなポジションはもうかなり少ないと思う。(大抵APAC(アジア圏)全般を見るケースが多い。)

 

となるとこの段階で、日本語が話せる、というのは、多少の+αにはなるけど、企業側にとってアメリカで採用する大きなメリットとはならない。

むしろ問われるのは、英語も含めたコミュニケーション能力、論理的思考能力、そしてそれらを駆使したグローバルで通用する交渉能力。

 

 

シリコンバレーでは、ものすごいスピードで色々なDecisionがなされ、どんどん実行されていく。そんな中で人や企業が生き残っていくためには、常日頃からDiscussionをし、それに積極的に関わることが非常に重要になってくる。またそうすることで年齢・性別・役職を問わず、最終的な決断に大きく影響を与えることも出来る。よく、「アメリカではMeetingで発言しないやつは必要ない」的な記事を目にするが、それはその通りだと思う。(もちろん、流れを止めるようなくだらない発言はマイナスポイントだけど。)

なので、まず大切なのは相手の意見を英語で聞いて英語で瞬時に理解できること、そしてもう1つは自分の意見を日本語を介さず英語のみで論理的に構成できること。この2つに尽きる。

そのうちのどちらが欠けてもコミュニケーション的にハンディーキャップを負うことになるのは間違いないし、開発が出来ない人間にとっては、それが致命傷になりえてしまう。

(たとえ、どんなに頭が切れて、いい意見・アイデアが思い浮かんでも、会話の流れに入ってこれず、また入っても意図していることの半分も伝わらなかったら、それはやはり致命傷になってしまう。もちろん、その事態を回避する為の方法はいくつかあるが、でもやはりそればかりだと自分自身もさることながら、相手にも相当のストレスがかかってしまうので、お勧めできない。)

 

ただここで誤解をしてはいけないのは、じゃあ、他の国のやつらは英語を完璧に話せているか、といったら、ぜんぜんそんなことはない。アジア人の英語はもとより、ヨーロッパ系の人でも怪しいのは一杯いる。だって大半の移民は英語は第2・第3外国語だから。ただ、残念ながら日本と韓国の英語の会話能力はその中でも低い、というだけの話。だからそんなに英語が流暢にしゃべれないからと言って萎縮する必要はない。英語が完璧である必要はない。

 

 

しかし、前述しているように英語ができる、というのは、単にスタートラインに立った状態。 

逆を言えば、そこがクリアーになれば、あとはその分野での自分の実力勝負となる。そこがアメリカで働く一番の醍醐味であり、面白いところ。

 

じゃあどういうスキルがアドバンテージになりうるのか?

 

特に重要だと感じるのは、その分野での専門性や、要素技術を理解する力(センス)、マーケットへの理解度、状況を俯瞰する能力、数字へのセンス(特にマーケットサイズやあらゆる数字から、どうビジネスOpportunityを図るか?など)、人とのコミュニケーション能力(言語ではない)、交渉能力、行動力、リーダーシップなどなど。そして個人的に何より重要だと思うのは、プレゼンテーション能力と、実務経験&その成果、だと思う。(どの国でも似たようなものだと思うけど、求められるレベルが結構シビアだったりする。)

 

そしてもう1つとても大事なのが、Work Ethicと言われる、いわゆる勤務態度や、仕事への情熱。

 

この部分に関しては日本人は全然問題ない。いやー、世界を見回すと、これがひどいのが多いことにびっくりする。そして特にアメリカのような多民族国家では、マネージャーはそれに頭を悩ますことが多かれ少なかれある。なので、日本人の持ってるソフトスキル(勤勉性とか、努力とか、美意識とか、マナーとか)は世界的に見てもやはりスペックが非常に高いし、それは今でも海外で評価されてる。これは結構馬鹿にならない。

 

ただし、1つ気をつけなくてはならないのは、指示待ち人間では絶対ダメ、ということ。必ずSelf Starterでなくてはだめ。これはシリコンバレーでは絶対必須。

 

じゃあ具体的にどうやって英語力を鍛えたらいいか?どうやってそれらアドバンテージを身につけていくのがいいのか?これらについてはまた別の機会に。

キッカケ

そもそもどういうキッカケで、シリコンバレーに来て働くようになったかについて少し。

 

今振り返ってみると、文系でSEをやっていた自分が、シリコンバレーの開発部門に移籍することが出来たのも、あの時 ”様々な人との出会い”、”将来の目標”、そして “タイミング” がいい形で交差したからだな~とつくづく思う。逆を言えば、そのどれかが欠けていたら、今違った場所にいたと思う。

 

2002年に新卒でCisco Systemsに入社したとき、2-3年ぐらいの期間で区切って、新しいポジションに移っていき、自己研鑚を続けていくと心に決めていた。

入社してからの最初の3年、幸いなことに国内外合わせて、本当に良い先輩やチームからの温かいサポートのお陰で、色々と難易度の高いことにもどんどんチャレンジさせてもらえた。もちろん、成功ばかりではなく、失敗も数多くしたけど、本当に素敵な人たちに恵まれ、色々とフォローもしてもらい、なんとかやってこれた。 (特にあの当時同じチームで自分を鍛えてくれた先輩方がいなかったら、今の自分は無いと確信しています、はい。それぐらい重要な出会いでした。)

 

そして3年目が終わろうとしている2004年末に、入社2年目ぐらいから手がけていて、かなりがっつりとサンノゼの開発チーム(ちなみに開発チームのことを、一般的にBU(Business Unit)という)と組んでやっていたプロジェクトが1つ終わり、その最後のMeetingと今後の話をするために単身シリコンバレーの本社に来ていた。

そのプロジェクトでの自分の役回りは、ざっくり言うとお客さんやパートナーへ技術的な提案・検証を行ったり、アメリカの開発部門や他部署を巻き込んでCross-Functionalチームを作り、リソースを引っ張ってきて機能改善や開発をしたり、社内外の交渉並びに調整をリードしたりして、いかにプロジェクトを成功させるか?というようなことに注力していた。 (のちにこの部分の実体験がアメリカへ来てからも役に立つのだけど、その辺の話はまたの機会に。)

 

このプロジェクトが終わったら、次のステップへ行こう。と決めていたプロジェクトだっただけに、感慨深いものがあって、なんでここで働いているのか、自分のスタンス、これからどうしたいか?そういった話を、この案件で一番お世話になっていたBUのインド人マネージャーに話をしていたら、そのマネージャーが

 

「Yutaにその気があるなら、こっちで一緒に働かないか?」

 

と誘ってくれた。これは素直に嬉しかった :) 勘違いかもしれないけど、自分のやってきたことが世界のスタンダードの中で少しでも評価された、と手応えを持てた瞬間でもあったから。

 

もちろんこっちに移籍する、ということは基本的に片道切符の移住を意味するわけで、色々と大きく変わるし、Cisco Japanの社内を見ても、今まで日本からアメリカの開発チームに、こういった形で転籍した前例はなかったので、一瞬考えて、いつまでに返事をしたらいいか?と尋ねたら、明日まで、と言ってくるw

 

今となってみればまあ当たり前のことなのだけど、Req(正式にはRequisitionといって、いわゆる空きヘッドカウントのこと。通常”req”という呼び方をする)は本当に流動的で、持っている時に人を取らないと、すぐに無くなってしまう。なので、明日まで、というPushも今となってはうなずける。(あと、いい意味で無駄に考えすぎて迷わせないような意図もあったんだろうけど。)

 

実はこの段階で9割方、腹は決まっていた。というのは、以前から、この業界で自分が仕事をしていくのであれば、やはり世界最高峰のところで、他の国のやつらと同じ土俵(雇用条件も含めて)で勝負して切磋琢磨していきたいし、そんな中で自分を試したかった。そうすることで、客観的な自分自身の市場価値が分かるし、何より自分が将来実現したいことが一番いい形で実現できるから。それに、前例がない、って言ったっていずれ誰かが破るんだし、躊躇する理由になんてならなかった。

 

で、翌日に正式に返事をして、そこから移籍&移住に向けたプロセスがスタートした。

 

こちらに来ても思うのは、努力を継続していれば、チャンスは必ず目の前をよぎる。ただ、そのチャンスをちゃんとつかめるか、またそのチャンスが来た時に自分自身が即決して、すぐに行動に移せるか?というのは日頃からきちんと考えて、動いているか否かが大きく左右する。どんなチャンスでも自分自身がReadyではなかったら、そのチャンスはすぐに目の前を通り過ぎてしまい、数カ月後に後悔する、なんてことになる。この例で言ったら、インド人のマネージャーがオファーをくれた時に自分がReadyでなかったら、翌日普通に断っていたかもしれない。

                                   

そんなこんなで、2005年の1月から、アメリカ転籍へと向けたプロセスがスタートする。

 

このアメリカへの転籍は、手続き上は日本のCiscoを退職して、アメリカのCiscoへと中途で入り直す、という形を取るので、少ないけど退職金をもらったりもした。

基本的に外資の日本オフィスは営業がメインの拠点なので、本社への駐在という概念はほとんどない。(たまに日本から派遣されて、本社で中期間(Max 1~2年ぐらい)仕事をして帰国する、というケースは稀にあるけど。) 

だから、駐在のひとが受けるような福利厚生や補助なんてものはない。でも、そんなベネフィットが無いほうが、自分の実力の分だけの給料をもらってそれで生きていく、とシンプルでいられるから、自分にとってはむしろウェルカムだった。

ただそのインド人のマネージャーが持っていたReqは、ローカルReqといって、原則現地の人間のみ採用可能なReqだったのを、彼がHR等を説き伏せて、無理やりInternational Reqにしてくれたので予算がそこまでなく、自分はのちに引越し費用などをいかに切り詰めるか、などに苦心することになるw (アメリカでのヘッドカウントの種類などについては、もう少し詳細に今度書くとします。)

でもここまでして、この機会を作ってくれた当時のマネージャーには、今でも本当に心から感謝している。(今でも時々会って、メンターしてもらっています :) )

 

そんなこんなでビザの手続き、引越しの手続き、アメリカでの最初1ヶ月間の滞在先の確保、引継ぎなどなどを終わらせ、2005年7月に渡米をした。あの時の成田を出るときの光景は、今でも鮮明に覚えている。

不思議と恐怖心はぜんぜんなくて、ワクワクしている自分がいた :)